●前田利家公飴
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前田利家公飴の由来
金沢は小立野、寺町という二つの台地と犀川、浅野川という二つの流れを利用して作られた町といえる。
小立野台地の先端部に作られたのが、兼六園であり、金沢城である。
当時、金沢は尾山といわれ一向宗徒の居城であった。
1580年 (天正8年) 織田信長の武将柴田勝家が加賀に侵入し、配下の武将佐久間盛政が金沢御坊を落し入城した。
金沢城の最初の主は佐久間盛政である。
盛政の治世は三年ばかりで、1582年 (天正10年) 本能寺の変で信長が倒れ、秀吉が賤ケ岳の合戦で柴田勝家と闘った。
前田利家は当時は七尾の小丸山城を出陣し勝家に味方し手取川まできて布陣し、戦況の様子を伺っていた。
柴田勝家配下の佐久間盛政は膠着状態の戦局を打開するため戦をしかけたが、これが柴田軍総崩れの原因となった。
越前北の庄で勝家がお市の方とともに自刃し果てたのは多くの人の知るところである。
手取川を越えずに布陣していた前田利家は軍を引き払い七尾に戻ろうとした。
これが幸いして逆に秀吉軍に味方することになり、1583年 (天正11年) 前田利家軍は敗れた盛政軍を追い払い金沢城に入城した。
前田利家は加賀前田家の祖で、豊臣時代の五大老の一人である。
豊臣政権を支えたナンバー2として広く知られている。
弊舗の祖は山城の国の出身で、金沢近郊に移り住み、その後、天正7年(1579年)金沢・南町において薬種業を創業した。
代々が彦十郎を襲名し現在も中屋彦十郎薬舗として営業している。
前田利家公飴は飴玉のセンターに隠し玉を内蔵している。
元気ハツラツ金沢観光のお土産にお奨めしたい一品である。
栄養補給!健康維持!
前田利家公飴の配合成分
高麗人参 |
…ウコギ科オタネニンジンの根、韓国が主な産地。朝鮮人参ともいわれる。 |
マムシ |
…天然マムシ100パーセントの真正を使用しています。マムシは栄養豊富で食べると大変体にいい。 |
マカ |
…アンデスのパワフル植物マカ。アブラナ科のハーブである。 |
黄精 |
…ユリ科のナルコユリの根茎。小林一茶は自ら栽培して、その根を食べたり酒に浸したりした。 六十歳になっても子をなしたといわれる艶福家であった。 |
グルコン酸亜鉛 |
…亜鉛不足の中高年に朗報である。 |
陳皮 |
…日本産ミカン科ウンシュウミカンの成熟果実の皮。香りがいい。 |
滑石 |
…天然珪酸マグネシウム水和物。 |
ガラナ |
…ムクロジ科ガラナはつる性の植物で、その果実を利用した。産地はアマゾン流域で、ガラナ飲料は有名である。 |
スッポン |
…スッポン科のカメ。他のカメと異なり、甲羅部分は角質化していない。食いついたら離れないなどの特性がある。全体を粉末状にした。 |
その他 |
砂糖、水飴、l-メントール、着色料(葉緑素)、香料 |
前田利家公飴が日刊現代の記事に取り上げられました(2012年6月6日)
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