漢方薬?生薬?民間薬? 違いを考える。
金沢観光|
坂道1| 2| 3| 4| 5| 6| 7|
用水1| 2| 3| 4| 5| 6| 7|
土塀1| 2| 3
混元丹飴
前田利家公飴
鞍月用水は犀川上菊橋の上流の油瀬木(菜種油をとるために水車を回さなければならず堰を作った)を取水口として、城南、菊川町、鱗町、里見町、香林坊、長町、芳斎町、六枚町、西念、念法寺、鞍月小の近辺を幾筋にも分かれながら、大野川河口へと繋がって行く。何箇所も暗渠部分があるが、香林坊から三社までの区間は近年になって綺麗に整備され用水を見ながら散策できるようになった。特に夕暮れ時に香林坊に向かって歩きながら用水の流れを見ると、これから何か新しい事が起こるかもしれないという期待と不安感がないまぜになって時間の経過とともに胸一杯に広がっていく。 1644~1648年頃、油屋与助によって作られたというこの用水は菊川近辺の農業用水、油車では製油、精米業の水車の動力用に、それからさきの三社までの街中は防火用水、生活用水として利用された。三社を起点に鞍月用水は一部は大野庄用水と合流し、一部は北安江、西念、鞍月などでは幾筋の分流を作りながら農業用水として利用されている。 川幅は1.5メートル〜6.4メートルで、かっては金沢市の西北部13ヶ村、8千石を潤す大用水であった。 総延長は15キロ内外か。当時はともかく、今、油瀬木に立ち留まって犀川を眺めているとこのあたりの河川堰や堤防は貧弱で一旦大雨が降ったりして堤防が決壊したりすると、このあたりから菊川、新竪校下、片町あたりは土地が低くすべて水没する危険性をはらんでいることをこの用水探索で感じた。 ・加賀藩時代の絵図である。鞍月用水は図面の右下から上に伸びて辰巳用水と合流していることがわかる。 ・辰巳用水と合流した鞍月用水は絵図の下真中あたりから、村井家と長家の間を縫いながら流れて行く。 右の上へ真っ直ぐ延びている分流水は升形を通り越して東別院の横に沿って流れてゆく。この用水はよく氾濫して近辺はよく床下浸水した。現在は暗渠になり、流れもなくなったのか。 これから紹介する写真は現在の上流から下流にかけの順番である。 ・鞍月用水の取水口、油瀬木である。対岸から写したのでみにくいが、正面に水門が確認できる。 ・鞍月用水取水口の近景である。遠くにみえるのは上菊橋である。右は城南である。 取水口から流れは暗渠になって人々の目に触れなくなる。 この流れを利用して藩政時代はいろいろな産業が発祥した。染物業もその一つだろう。 ・これまで暗渠部分が殆どだったが、菊川町の周辺になって民家の間を縫うように流れは走って行く。 水量はかなりあり、流れも速い。 ・用水は菊川町を過ぎ、石川県幸町庁舎の前を通りすぎ鱗町交差点を横切り鱗町になって再び表に顔を出す。 このすぐ下流に水車を利用した製粉場が昭和40年代まであったように思う。 藩政時代から続く水車を利用して菜種油を絞った製油業の多田油店もこの近くの竪町にある。 ・西へ向かって走る用水は里見町周辺を竪町にある教会の横へと繋がって行く。 ・竪町の教会まえを通りすぎた流れは、宇都宮書店前で辰巳用水と合流する。 ・合流した二つの流れは蛇の目寿司本店の前を通り、繁華街の香林坊交差点を横切り香林坊109の前に顔を出す。 五木寛之作詞、弦哲也作曲で歌われる「金沢望郷歌」にも「小松砂丘の句が残る 過ぎ行く歳月よ 街は変われど辰巳の用水は今日も流れて・・・・」と詩われるが、正確にいえば辰巳と鞍月の二つの流れはということになる。 香林坊の交差点を暗渠で通過した用水は右折して柳が植えられた用水沿いの街を勢いよく流れてゆく。水量も豊富で街路も整備されて、一昔前この用水を跨ぐようにして飲食店があり大小便が垂れ流しであったなど知る人も少なくなった。 ・合流した二つの流れは、何故か鞍月用水と呼ばれている。辰巳用水は城の中で終わりということだろう。 香林坊109の裏手から流れは中央小学校へ向かって流れて行く。 ・左にあるこの小学校の土地は以前は倉庫精練という染色会社のあったところである。 まだ環境問題がやかましくなかった頃、この用水に染色のあとの水を流すものだから川の色が赤になったり、青になったり、黄色になったりした。ここは藩政時代は家老の村井家の屋敷のあったところである。 この豊富な用水を利用して明治になってから、日本では富岡製糸場につぐ規模の金沢製糸場が開業した。 繰糸機100台、女工200人というから相当な規模である。 この製糸場に隣接した長家屋敷あとでは金沢撚糸会社が発足した、やはりこの鞍月用水を利用した事業だった。 この用水を利用して津田式力織機を動かし、後の津田駒工業の礎となった因縁のところである。 ・鞍月用水が最も脚光を浴びた場所を通り過ぎ、流れは再び民家の裏へと回遊するように進んでゆく。 ・鞍月用水の六枚町交差点の水門管理棟である。 ここからしばらく開渠がつづくが、すぐに暗渠になる。 ・表通りに面したところは殆どが修景されている。これから先のところで分流があり、一部は大野庄用水と合流し木曳川となる。この先は金石街道である。流れは暗渠になり、人々からわすれ去れてしまう。再び姿をみせるのはかっての田園地帯である。 ・かって中橋から西念の田園地帯を流れていた用水は現在は殆ど暗渠になり、幾筋にも分かれながらさらに北西部の農村地帯に向かって流れて行く。金沢駅の西地区は開発が進み殆ど用水の流れを目にすることはできない。本流と思われる流れは新県庁舎の近くの鞍月小学校前でいきなり堂々たる姿で私達を迎えてくれる。 ・鞍月小学校を迂回し、直江八幡神社の前を通りすぎた支流と思われる用水は近岡諸江線を横切り鞍月中央公園横を流れて行く。 ・鞍月中央公園前を流れる鞍月用水。土手は土と草の盛土である、ところどころに水門というか、分木、瀬木とよばれるような柵があり、そこにごみが溜まると農家の人が取り除いている。農業用水として利用されている。 この用水はこの先は弓取川に合流するがこの弓取川も大野川に注ぐ。 ・堤防こそ立派ではないがこの堂々たる流れの川は弓取川である。諸江町付近で浅野川から分流したと思われる農業用河川である。 ・割出町で開渠となって目に触れるこの流れも鞍月用水である。幾筋にも分かれて農業用として利用されていることが解る。この流れは問屋町に向かって流れて行く。 ・問屋町のセンターである流通会館横を通りすぎたこの流れも弓取川へと合流する。 ・鞍月小学校の横を通りすぎた本流と思われる流れは近岡神社の横を通り過ぎて行く。 ・かってはこの河口近くの用水には農業用の小船が往来していたが、その面影もなく用水の色も茶色から黒く濁りヘドロが堆積していることが窺い知れる。この近岡、南新保、直江、大友、戸水、御供田などの集落は鞍月の庄と呼ばれていた。右横は近岡神社である。 ・用水はさらに北上する。このあたりまでくると、用水の用途は農業用ということがはっきり理解できる。 ・松任、宇ノ気線の幹線道路沿いを流れる鞍月用水。ここまでくるとほとんど流れているのか、留まっているのかわからないくらいゆっくりとしている。 ・幹線道路を横断した流れは大野川の近くで、逆流止めに助けられながら出口へと向かって行く。 ・やっと辿り着いた鞍月用水の出口である。上菊橋上流の油瀬木から15キロ、紆余曲折を経て大河に 合流する。 ・河北潟から流れてくるこの大野川と合流した鞍月用水は金沢新港に向かって流れ日本海に注ぐ。
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