中屋彦十郎
出会いこそ人生の醍醐味!!
当店は天正7年
(1579年)の創業の漢方薬店の伝統受け継ぐ薬舗です。
漢方薬、生薬製剤、健康食品などを中心に商っています。
長い年月の積み重ねの中で、老舗としての実績をあげながら代々が彦十郎と襲名し、現代表者で15代目になります。
昭和39年
(1964)
に彦十郎を襲名しました。
現代表者は金沢に生まれ、石川県立金沢二水高校を卒業、金沢大学薬学部を卒業。
同大学では生薬学を専攻。
薬剤師免許取得。
同大学専攻科で二年間の研究生活を経て合資会社中屋商店
(漢方薬製造業) へ入社。
丸粒の混元丹などを開発。
副社長を経て、1979年 (昭和54年)
現在の薬局を設立し、代表者となる。
漢方医学と漢方薬をライフワークとして、現場の接客の中から地域に数多くの実績を上げ、確固たる信頼を得ています。
それは彼自身が漢方の製造業に携わって15年、販売業に身を投じて20数年の経験に裏打ちされているからなのなのです。
彼の漢方の原料の良し悪しを見究める鑑織眼は卓越したものがあり、どのメーカーの商品が信頼できるか判断し厳選して採用しています。
その上どの製剤がお客様に最も適切なのか漢方医学や薬学知識もとに、多くの薬
(約6000アイテム)の中から選択してお届けしています。
特に漢方薬の『牛黄』については造諮が深く、牛黄鑑定士とも言われ、金沢では唯一人の専門家でもあります。
現在、和漢医薬学会会員。
「商いは続けてこそなんぼかの価値」と古老に言われ、ただ実直にやってきた気がします。
時代によって薬屋の商いの実態も変化してきました。
テッシュやシャンプー、リンス、化粧品まで商って何が老舗かと考えた時期もありましたが、人口100万人に一軒存立するかしないかの危うい漢方専門薬局に固執するより、先祖以来の「中屋彦十郎薬舗」の暖簾を維持することこそ肝腎と考え、商いを続けてきました。
これからも、暖簾の維持を第一義に考え、みなさまと共に歩みを続けていきたいと思います。
ぜひこの機会に当店ホームページをご覧ください。
15代当主中屋彦十郎
精力剤コーナー
思案橋店 店内写真
当店は2002年11月5日テレビ金沢「じゃんけんぽん」で紹介されました。 (石川県全域放映)
加賀能登の家 (田中喜男編) 北国出版社刊、昭和50年10月1日発行に中屋家15代として紹介されている。
金沢の老舗 昭和46年6月1日発行 (本岡三郎、松原茂監修) 北国出版社刊のなかで田中喜男氏
(北陸史学会会員)の紹介文で次のように紹介されている。
(中略)
こうしたなかで、400年以来のノレンを守ることは並大抵のことではなかった。14代彦十郎氏は昭和33年辛苦のなかで病没した。嗣子健吉氏は父の遺言によって金沢大学薬学部を卒業して39年15代彦十郎を継いだ。
(中略)
中屋家では当主は代々が彦十郎を襲名している。当代彦十郎は昭和39年裁判所の許可を得て戸籍名健吉を改名して代々の当主名彦十郎を襲名したのである。
・明治11年(1878年)8月、金沢の南町の中屋彦十郎(13代当主)は金沢区務所(市役所)へ呼ばれ、明治天皇の北陸巡幸の金沢行在所に予定されているとの通告を受けた。8月27日に、県官勝木菊正の案内で先発官の内務少輔林友幸宮内務少書記官桜井純造、少警視佐和正ら10人が見分し、
行在所(あんざいしょ)として決定された。一同が引き上げた後から、宮内省御用係小平美近は中屋番頭の熊谷久平、大工の近田近田市郎平に対し、門・湯殿・厠などの建て方について指示があった。普請が終わりに近づいた頃、店舗を南町79番地へ移動し、ここで臨時に営業し、衣服・什器類などもすべて移動し、家族全員も他家へ移動した。行在所となる自宅には13代当主の彦十郎と父寛次、番頭の熊谷久平・川崎田伝七郎が残った。
・明治11年(1878年)10月2日明治天皇の北陸巡幸が行われた。明治天皇は岩倉具視以下随行員800人を伴い、新潟、魚津、富山を経て金沢に到着した。金沢市内の中屋彦十郎宅に逗留されたが、たまたま中屋家では離れを増築中であり、周辺の地理的状況、警備のしやすさなどを考慮し決定したとのことである。3日間の滞在中に陛下は金沢市内を視察したがその目的は明治天皇の威光を人々に知らしめることだったといわれる。
行在所(あんざいしょ)は以外とこじんまりしている。上記の部屋のほかに湯殿、厠などが併設されているが極めて質素である。
・後日、中屋家では画家に依頼して御影を描いてもらい掛け軸にして保存した。
この写真は本来はこのサイトの一番上に掲示すべきであるが、説明の関係上この位置としたことはご容赦願いたい。
・2007年12月14日号「週刊ポスト」において、男の「ED薬&精力剤25」を5段階評価する、という記事について取材を受けた。
・2008年1月27日(日)北国新聞朝刊において竹久夢二「秘薬紫雪」の小説に関して取材を受けた。